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ある声楽家の苦悩 その壱

記者A シュリマティ・ヴィーナー・サハスラブッデーさん。

私達とお話する時間を裂いて下さり、ありがとうございます。


あなたはお父さんのパンディット・シャンカル・シュリパッド・ボダス氏とお兄さんのカシナート・シャンカル・ボダス氏から教えを受けたと聞いております。彼らからどのように教えを受けたか話して下さい。


ヴィーナー・サハスラブッデー (以下VS)

御存知のとおり、私もまたグワリヤル・ガラナに属しています。

そのガラナがどのような意味かは話しませんが・・・・ガラナとは一種の演じ方の違いや恐らく学び方の事です。

数ある演目からどのラーグを選ぶか、どのターラで演じるか、御存知のように、沢山の事柄があります。



私がグワリヤル・ガラナに属している事は事実です。そして父親と兄から教えを受けました。

同時期に1926年に父がサングリーからカンプールに引っ越しました。その時期のカンプールの街の音楽シーンは今とはとても異なりました。彼は音楽を11歳からの授業の科目として地元の学校に紹介しました。そのようにしたのは彼の世代が最初です。

今貴女方は何故私の父がマハラシュトラやウッタル・プラデーシュに来たのか訪ねていたのでしたね。
ここで私の言うウッタル・プラデーシュはカンプールのことを指します。カンプールは一種の工業都市です。なぜなら、あの州には御存知のようにベナレスもあれば、アラハバード、ラクナウといった文化的な街があります。カンプールにはこれと言って何がある訳でもありません。

しかし私の父の師、伝説的なパンディット・ヴィシュヌ・ディガンバル・パルスカルには最低でも100人から150人の弟子達がいました。彼には師匠としての立場がカンプールにあったのです。弟子の一人が彼を慕いカンプールに行って教えを乞いたいと考えていました。私の父・・・パンディジーはかって{マハラジ}と呼んでいた人物・・・彼は言いました。君は何故ここに落ち着いて私から教えを乞わないのかと。それが父がカンプールにやって来た理由です。

同時期に彼はサンギート・サマージと呼ばれる音楽学校を設立しました。
そこに彼は声楽家や楽器演奏家を招きました。沢山の演奏家達が私の家に滞在しました。だから私は音楽的にとても恵まれた環境にいる事が出来たのです。その時私はまだ子供で彼らが何の話をしているのか、どういった演目なのかはっきりとは解りませんでしたが、感覚的に良い影響を受けていたと思います。

いつでもそういった演奏家達がやって来ていましたので、私や兄も彼らから教えを受ける事が出来ました。
バルワントライ・バット氏、バサント・タカル氏、ガジャナラオ・ジョシ氏、そういった人達です。彼らからも学びました。(プロフィールとして)私に尋ねるのであれば、父と兄から基礎を学びましたが、その後は様々な異なる演奏家達からもガイダンスを受けました。


続く
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